逆襲
〜恋歌終章if〜
「午後の仕事ですが……休ませていただくことは出来ませんか」
ウォンレイが言った突然の一言に、リィエンは驚きを隠せずにいた。『守る王』を目指した修行の日々を送りながらも、叔父の家にて世話になるようになってからは、二人でいる時間がほとんどだったからだ。それより何より、二人の間に隠し事などなかった恋人が、一人で行動することを望んだのだ……無理もない。
結局彼女は、一人街へと向かったウォンレイを追いかけることを決意したのだった。
「ねぇ」
その女がウォンレイに声をかけてきたのは、街の小売店を出、日雇いの仕事を探していた時のことであった。
化粧で妖艶さに磨きをかけた女性は、そのことを証明するかのように怪しい笑みを浮かべながら、ウォンレイに迫る。
「何か、お悩み?」
「い、いや……私は別に」
「そう?何か欲しいものがあるけれど、手に入れられなくて困っている……そんな顔をしているわよ」
戸惑いの表情を浮かべるウォンレイの肩に、女は手を置く…まるで恋人であるかのように。
「お金が欲しいのなら……いい話があるわよ」
「本当ですか……!」
ウォンレイにとって、その一言は渡りに船だった。いきなり声をかけてきたということに疑問はあったものの、金が欲しい、ということもまた事実だったからだ。
そのため、ウォンレイは素直に喜びの表情を浮かべたのだが、その光景をリィエンに見られていた事を、彼は知るよしもなかった。
やがて、ウォンレイたちはとある大きな屋敷の前にたどり着いた。その門の前には一枚の張り紙があり、そこにはただ一言、「武闘大会」と記され、他には何の説明書きもない。
「武闘……大会?」
「そうよ。用心棒を探すにはもってこいでしょう?」
「……」
ウォンレイの表情が疑惑のものに変わった。だが、他人に対して……しかも仕事を提供してくれると言ってくれるものに対して強い態度をとることが出来ないウォンレイは、彼女に従い、門の奥に入っていく。
その時、女性がやたらと体を寄せてきていることが気になってしまっていたせいなのかどうかはわからないが、さらにその後ろから嫉妬に満ちた視線が送られてきていることに、ウォンレイはまったく気づいていなかった。
武闘大会は勝ち抜き戦方式だった。一度戦いを始めれば、敗北するまで休むことを許されない。最初から試合に出場することになったウォンレイは、結果として連戦に次ぐ連戦となる。だが、魔物であることを差し引いても、毎日厳しい修行を重ねている彼の敵ではない。
そして気づいたときには、参加していたすべての敵を打ち倒していた。
「すごいわ、あなた、とても強いのね!」
飛びつくようにウォンレイに寄り添う女の姿に、こっそり邸内に忍び込んでいたリィエンは拳を震わせていた。怒りに身を任せてしまいそうになりながらも何とかこらえていたのは、ウォンレイの真意をまだ聞き出していなかったからだ……いや、まだ彼のことを信じていたかったのかもしれない。
そして、その気持ちが伝わったかのように、ウォンレイは寄り添う女性をゆっくりと、しかし確実にその身から離した。
「……どうしたの?」
「私はこの戦いに勝つ理由がある。だが、それはあなたのためではなく、私の大切な人のためなのだ」
(ウォンレイ……)
リィエンの顔から嫉妬が消えた。たった一言ではあったが、その言葉が意味していることを一番よく知っているのは自分自身なのだということを、リィエンは理解している。そして、一瞬でもウォンレイのことを疑った自分を恥じた。
だが、話はそこで終わりを迎えたわけではない。
「相変わらず……ぬるいことを言ってやがるな」
その声は、武闘会場の奥の控え室から聞こえてきた。それまで、その場所は扉で閉ざされており、中の様子を窺うことも出来なかったが、今、その扉は完全に開け放たれている。
光がわずかに刺す部屋には手すり付きの豪華な椅子が設けられており、声の主は足を組みながら頬杖をついていた。
がっしりとした肉体、そしてその肉体を覆う、華美な装飾が施された黒い衣服。
影になっていて顔は見えなかったが、少なくともウォンレイは、その声に聞き覚えがあった。
「その、声は……」
「ホウ、声だけで俺だとわかるとは……さすが、この俺を倒しただけのことはあるな」
ゆっくりと立ち上がり、部屋の外へと歩みを進めるその顔が、太陽の光にさらされる。
「玄宗……」
「そうだ。お前の居所を探すのに、ずいぶんと苦労させられたぜ」
ニヤリと笑みを浮かべる玄宗。その姿に、ウォンレイの隣にいた女性のほうが抗議の声を上げた。
「ちょっと!まだあんたの出番じゃないでしょう?」
「そうだったか?だけどよ、これ以上待たされるのがいやになっちまったんでな」
そんなやり取りで、ウォンレイは二人が顔見知りであるということを知ることになる。そしてそれは、この戦いが仕組まれたものであるということを知るということでもあった。
「拍子の抜けた顔をしているな?そうだよ、そこの女と俺はグルだ。お前を探し出し、倒すために手を組んだのさ」
「チッ……」
玄宗の言葉に、女が舌打ちする。その顔は、直前まで振りまいていた愛想などどこかに吹っ飛んでしまいそうな勢いだ。
疑惑の視線を送るウォンレイに、女性はとうとう、その真意を口にした。
「勝手にばらしやがって……ああ、そうだよ。私はあんたの恋人の組織にいる者さ。跡取りに約束されちまった放蕩娘を始末する……そのためにね」
「……リィエンを……狙っていたのか!」
「ああ。だけど、あの子もそれなりに強い女だからね。まずはあんたを骨抜きにして精神面からボロボロにしてやろうと思ったんだけど大失敗だ。こうなったら……」
軽いステップでその場を離れた女性の影から、黒い影が迫ってくる。あわてて防御したウォンレイの腕を、力のこもった拳が叩く。
衝撃が、腕を通して体中を駆け抜けた。
「あんたを殺すことで、リィエンの心を叩きのめすことにするよ!」
「そういうことだ!以前の借り、全部まとめて返させてもらうぜ!」
拳を叩き込んだ至近距離から、さらに踏み込み、ひじを打ち込む。
ウォンレイの腹部に突き刺さった一撃が、その体を軽く吹き飛ばす。だが、後方に滑らされたことによって足元から土煙が舞い上がったものの、その体も、ひざすらも、大地に触れることはなかった。
「さすがに、この程度の不意打ちでは倒れねぇか。まぁ、そうでなけりゃ俺の相手など務まりはしないがな」
「……」
口数の多い玄宗に対し、ウォンレイは無言だった。しかし、その拳は握られたままであり、ゆっくりと、一度だけ深呼吸をすると、少し体を沈め、左の拳を体の前に突き出した。自然な動きで、戦うための構えに変わったのだ。
「久々に戦い甲斐のある相手だ!ゆっくりといたぶってやるぜ!」
「それは無理だ」
刹那。
なぎ払われた一撃が、玄宗の体を大きく宙に舞い上げた。
地面にその体を叩きつけられるまで、玄宗は自分に何が起こったのかわからなかった。ただ、殴られたことだけは、その体が理解している。
「馬鹿な……攻撃を受ける間合いではなかったはずだ!」
「距離は、踏み込みの速度を上げることでいくらでも縮められる。相手の間合いを読むことすら出来ぬ……その時点であなたの負けなのだ」
起き上がった玄宗がウォンレイのほうを見ると、その背後に深い足跡が残されていたことに気づく。一瞬にして間合いを詰め、拳を横から叩きつける……それがウォンレイが放った攻撃だった。
「術もなしに、これほどの攻撃を放つ、か。どうやら、腕はなまってはいないようだな」
「いや……あなたは勘違いをしている」
打撃を受けたのに楽しそうな表情をする玄宗を、ウォンレイは言葉で斬った。
「戦うことに執着するあまりに周りが見えていない。私がその一撃を放てるのは、リィエンを……大切な人を守るためだ。そのためなら、どんな力でも振り絞れる。それがない限り、あなたに勝ちは……ない!」
(……よかったある。あそこにいるのは、いつものウォンレイあるね……)
その背中を、リィエンはいつも戦っているときと同じように見つめていた。そう、そこには彼女がよく知る、もっとも心に刻まれている大切な恋人の姿があったのだ。
そして、彼女はきびすを返した。もはや、この戦いの決着は目に見えている。本来、ここにいないはずの自分が、それを見ている必要もないのだから。
そして。
「おかえりある!」
元気よく迎えるリィエンの笑顔に、ウォンレイは、何も起きていなかったかのように、やさしい微笑みを返すのだった。
「ああ……ただいま」