どれだけ、泣いたのだろう。
どれだけ、あの子のために涙を流したのだろう。
きっかけは、ただの親切心だった。
あの子はずっと泣いていた。けれど誰も彼女に応えることもしない。
そんな彼女の姿が、自分と重なったから?
ううん、ただ単純に、泣いている子を放ってはおけなかった・・・それだけのこと。
彼女はいつの間にか、私の中でとても大きな存在になっていた。
妹として迎えたい・・・本当にそう思っていた。
だけど、彼女はもう・・・いない。声を聞くことも、その笑顔を見ることも、二度とかなわない。
だから、私はずっと泣いていた。
「しおり・・・入るわよ?」
部屋に誰かが入ってきた。この声は・・・お母さん?
「何度呼んでも返事がないから・・・寝てるの?」
お母さんが近づいてきている。それは気配でわかった。けれど、私は顔を上げない。上げることが出来ない。今、自分がどんな顔をしているのかがありありとわかっているから・・・そんな顔を見せたくはない。
ずっとベッドに顔をうずめたままの私を、疲れて寝ていると勘違いしてくれればいい。
私はずっと無言だった。だけど、小さな嗚咽は止めることが出来ず・・・お母さんもそれに気づいたようだった。
近づいてくるのが、気配でわかる。
月に数回程度しか会う機会がないぐらい、両親は家にいない。
たまに顔を合わせてもほとんど話をせず、また話をしてもまともに応えてくれないでいたお母さんに今の私の顔は見せられない。
見せたときにどんな反応をされるのか・・・それが怖い。
ずっと私を姉と慕ってくれたコルルが家にいた間、両親はまったく家に帰ってはこなかった。だから、その存在を知るのは私と、彼女を救ってくれたガッシュ君と清麿君だけだ。
だからきっと、お母さんは私の涙の理由をわかってくれない。
でも・・・それならなぜ、お母さんはこっちに近づいてきているのだろう?
「何か・・・あったの?」
お母さんの手が、私の肩に触れた。
一緒にかけられた声は、もう何年も聞いていなかった・・・とても優しい声。
その瞬間、脳裏にコルルの言葉がよみがえってきた。消えてしまうその寸前に、彼女が私にかけてくれた、最後の言葉が。
『私・・・ずっと一緒だもん・・・ずっと見てるもん・・・』
私は顔を上げた。
閉じていた視界がゆっくりと広がってゆく。その目がゆっくりと、そして確実にお母さんの姿を映し出してゆく。
「なんて顔してるの。きれいな顔が台無しじゃない・・・」
心配してくれている・・・それがありありとわかるお母さんの声を聞きながら、私はすうっ、と深呼吸をした。
大事な事を話すために・・・妹の願いに応えるために。
「お母さん・・・大事な話があるの」
そう・・・私は変われる、きっと。
コルルが見守ってくれているから。
季節が巡り、冬の足音が近づいてきていたある日、私は久しぶりに公園に足を向けた。
コルルと別れた、あの公園に。
家からほどない距離にあったその公園は、前に来た時とほとんど変わらなかった。
季節だけが、公園に彩りを与えている。
入り口から眺めていると、コルルとガッシュ君が激しい戦いを繰り広げていたことが嘘のように思えるほど、公園内には優しい風が流れている。
そんな感傷に浸りながら入り口でたたずんでいると、不意に後ろから声をかけられた。
「あれ、しおりさん?」
「・・・清麿君!」
振り返り、見覚えのあるその顔を見つけたとき、私は思わず小さな叫びをあげてしまったのだった。
「そっか。ガッシュ君、がんばってるんだね」
「ああ」
ベンチに座り、青く澄んだ空を見上げながら、私は清麿君の話を聞いていた。
幾度となく続いている戦いを、ガッシュ君と清麿君が潜り抜けていること。そしてガッシュ君が生き残っていることを聞き、小さく安堵の息を漏らす。
「ガッシュはたくさんの事を学びながら、大きくなっていってる。そのきっかけを与えてくれたのは、やっぱりコルルだと思うよ。あいつは、コルルとの約束を守るため、魔界の王になろうとしているからな」
「うん」
清麿君の言葉は力強い。彼もまた、ガッシュ君と一緒に戦ってきたことで、強くなったのかもしれない。ふと、そんな風に思えた。
「・・・清麿君、なんだかたくましくなったよね」
「え? そ、そうか?」
試しに口に出してみると、照れながらほおをかく仕草を見せる。強くはなったけど、本質は変わっていない・・・その証拠なのかな。彼の優しさは、結果的にはコルルとの別れにつながったけど、その判断でコルルの心は救われたのだから、感謝しなくちゃいけないのかも知れない・・・。
そんな事を考えていると、ふと、ひとつの疑問が頭をよぎった。彼ならどう答えるんだろう?
「・・・清麿君にも、いつかはガッシュ君との別れの時がくるんだよね」
「あ・・・ああ。そうだな。どんなに遅くても、魔界の王が決まったその時に・・・」
「寂しくない? つらくは・・・ないの?」
北風が、二人の間を通り過ぎた。それは、いつか去来する感情を表しているかのようにも思えた。
そんな風を体に受けながら、清麿君は一瞬の躊躇の後、ゆっくりと答えてくれた。
「そうだな・・・まだわからない。その時にガッシュが王になっているのか、それとも誰かに負けてしまったあとなのかはわからないけど・・・」
清麿君の視線は足元に向いていた。答えづらい事を聞いてしまったのかもしれない、という後悔が一瞬、頭をよぎる。だけど、その表情は、真剣に答えを考えてくれている。そのことだけは、私の心に届いていた。
「あいつが目指していることは、きっとうまくいく。今じゃもう、あいつ一人だけが『やさしい王様』への道を歩んでいるわけじゃない。そしてうまく行くということは、コルルの願いがかなうことにもつながるんだ。だから、あいつの頑張りに、俺も答えてやりたい」
「・・・そうだね」
清麿君の言葉にうなずきながら、心の中では軽い肩透かしを食らったような気分だった。
でも、その言葉には嘘はない。だから、彼の本心は痛いほど伝わってきた。
きっと清麿君も、ガッシュ君と別れるときには泣くんだろう。
だけどそれは、別れを悲しむ涙じゃなくて、喜びの涙であると、私は願いたい。そのことは、コルルの幸せにつながる・・・そんな気がしたからだ。
「きーよーまーろー・・・」
遠くから、声が響いてきた。聞き覚えのあるこの叫び声は、ガッシュ君だ。
「お迎えだ・・・っていうか、俺がガッシュを探しに来たってのにな」
苦笑しながら、清麿君が立ち上がる。私もそれにならった。
じっと、清麿くんの顔を見る。ほんのちょっと、すっきりしたような笑顔になったような・・・そんな気がした。
「・・・清麿君」
「な・・・なん、ですか?」
「がんばってガッシュ君を王にしてよ。コルルを泣かすようなことになったら、承知しないからね!」
言いながら、ぱん、と清麿君の背をたたく。
突然の行動に驚き、背中の痛みに顔をしかめる清麿君をみて笑いながら、私は公園を駆け抜けていった。
・・・私も、もっとがんばろう。
ガッシュ君がコルルのためにがんばってくれているように・・・。