それは、とある昼下がりのことであった。
「ム、地震、か?」
地震と呼ぶにはあまりにも局地的で小さく、また瞬間的な揺れ。
それがグスタフ家を襲ったのだが、家長であるところのグスタフは平然とコーヒーを口にし、その苦味を体内に注いでいた。
ゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置いたころには揺れは収まっていた。だが一瞥すると、子供と妻が、不安そうな表情でグスタフを見つめている。
「案ずるな。少し様子を見てこよう」
きびきびとした動作で立ち上がったグスタフは、すたすたと歩き出し、そのまま玄関の扉を開けた。外の風は少し冷たいが意にも介さない。
あたりの様子をうかがう。周辺を見渡しても普段となんら変わりがなく、揺れが襲ってきたのが自分たちの家だけだという事を物語っていた。
(フム・・・そうすると、何かがぶつかった・・・のか?)
軽く家を一周してみたが、壁に穴や凹みがうがたれた様子はない。やむなく、グスタフは物置からはしごを持ち出してきた。
カタン、と雨どいにはしごを傾けて登る。側面に異常がないのだから、屋根を確認しなければならない。
が、はしごを登りきる前に、グスタフは揺れの原因らしきものを発見するに至った。
屋根にあけられた穴・・・煙突の中から伸びる、青い2本の足。それが、グスタフの発見したものであった。
「礼は言わせてもらう。だが、それだけだ」
体中についたススを無造作に払いながら、青い服の男はぶっきらぼうな口調でそう言った。
その視線の先には、タバコの煙をくゆらせているグスタフがいる。彼は目を細めながら自宅の庭で相対している男を値踏みするように眺めていた。
少なくともその容姿は、これまでグスタフが見てきたどんな人間とも違う。特に、頭から突き出た角のような髪は、威嚇するように正面に・・・グスタフに突きつけられている。
が、そこいらのチンピラヤクザならともかく、口元に立派なヒゲを蓄えたグスタフは、多少の威嚇におびえるような男ではあり得なかった。
「では聞かせてもらおうか。お前がなぜ、我が家の煙突に突き刺さっていたかを」
「それだけだ、と言ったはずだ。話す必要はねぇ!」
口から煙を吐き出しながら問うグスタフ、そして噛み付くように回答を拒否した青い服の男。
だが、その拒否が自分の立場を悪くしてしまったことに、次の瞬間気づく羽目になる。
「ホウ・・・では、これは何だ?」
「!」
グスタフが後ろ手に隠していたものを取り出した。それはハードカバーの本。コバルトブルー一色に染め上げられた、大きな本を見た瞬間、男の目つきが変わった。まるで獲物を捕らえようとする獣のように。その表現はあながち間違いではなかった。だん!と大地を蹴り、グスタフに迫ってきたのだから。
「返せ! それは俺のものだ!!」
「そう慌てるな・・・きちんと説明すれば返してやらんことはない」
勢いのままに手刀を次々と繰り出す男。が、グスタフは難なくそれをかわしてゆく。それどころか、手にしていた本をぱらぱらとめくり始める始末だ。
「見たこともない言葉だな・・・この国のものではない、か」
「き、貴様・・・っ!」
「ム?」
今度はグスタフの目つきが変わった。見慣れぬ言語だらけで読めなかった本の中で、その意味がわかる箇所を発見したからだ。
「ホウ・・・このページだけが読めるな・・・」
その文字は、まるでそこに明かりがともっているかのように淡く光を放っていた。そしてその光は、ほんの表面から外へと漏れ出している。当然、青い服の男にも、その光が見えた。
「なっ!ま、まさか貴様が・・・!!」
「第一の術・・・」
グスタフは、既に文字を声に出そうとしていた。そのことが意味する事を知っているのは、この場では青い服の男だけだ。
それまで執拗に攻撃を繰り返していた男が、急に動きを止め、グスタフから離れようとした。だが、その動作よりも早く、グスタフの声が発せられる。
「ゾニス」
瞬間。
青い色のエネルギー波が駆け抜けた。
エネルギー波は、男の角から発せられたものだ。あのまま攻撃を続けていたら、間違いなくグスタフに直撃していただろう。慌てて男が目をそらしたおかげでそれは免れた。
だが、放たれた光線を止めることが出来るわけでもなく、抉り取るようにグスタフの背後にあった家を・・・正確にはその屋根を砕いたのであった。
「貴様が・・・パートナーだっていうわけかよ・・・」
それまで怒りの感情しか見せていなかった男の表情が変わった。
それは、安堵か、笑みか。それを識別することはグスタフにもできなかったのである。
「・・・なるほどな。事情はよくわかった」
「やけにあっさりと信用するんだな」
「信用せざるを得まい? 全て証明済みのことだからな・・・ひとつを除いては」
グスタフは、肺に深く吸い込んでいた煙を大きく吐き出した。赤く染まりだした空に、白い煙が昇ってゆく。
グスタフが、バリーと名乗ったその男から聞き出した話はまるで御伽噺であった。
別の世界から、王を決める戦いのために送り込まれた100人の子供たち。その戦いの鍵となるアイテムが、人間の心の力を借りて術を発する本の存在。その為に子供たちが人間と組まなければならないこと。そして本が燃やされれば、子供たちは元の世界に強制送還されること。
「だがバリーよ・・・少なくともお前は、私に借りを返してもらわねばならん。それが終わったら、貴様が王になる手伝いでも何でもしてやろう」
「本当か!」
「嘘は言わん。それより、早く屋根の修理を終わらせんと、日が沈んでしまうぞ」
「く、くそうっ!!」
屋根の上から、悲壮な叫びが漏れた。グスタフは事情を聞きながら、バリーに屋根の修理を強制的に行わせていたのだ。
トンカチを片手に、乾いた音が響き渡る。
バリーが王を目指す旅の始まりは、数日ほど後のことになりそうだった。