ナゾナゾ博士 VS 大海恵

 その日、朱色の本の魔物・ティオと、その本の持ち主・大海恵は、数週間ぶりの休日を楽しんでいた。
 とは言っても、たった一日ではたいした事が出来る訳もなく、プロモーションビデオのロケ先を観光する、という程度である。だが、二人にとってはそれでも十分な休みなのだ。
 人気アイドルである恵は、様々な仕事を分単位でこなさなければならないほどの多忙さを極めている。その疲労が常に彼女に同行するティオにも伝染するほどだといえば、彼女の忙しさも分かってもらえるだろうか。
 だが少なくとも、恵は人前で弱音を吐くということを全くしない。生まれついた心根の強さもあるのだろうが、いつも一緒にいるティオに励まされている部分も少なくはないだろう。そんな意味では、二人はいい姉妹であり、コンビでもあった。

 

「いい風ね」

潮風に髪をなびかせながら、恵は公園を歩いていた。海に隣接するその公園は、その大きさのせいもあるが、都会にしては静かな雰囲気が、安らぎを与えてくれる。

「本当。いつもはあちこちを飛び回ってるし、スタジオは何かとうるさいから、たまに自然を感じると新鮮な感じがするわね」
「うるさい、か。いかにもティオらしい答えね」
「でも、スタッフのみんなは優しいし、楽しんでるのよ!あたしがいつもいる事にも文句を言わなくなったし!!」

恵の後ろについて行くように歩いていたティオがあわてふためくのがわかったが、あえてそれを振り返って確認した恵は、立ち止まってほほ笑みかける。

「そうね。ティオを見つけた時もすごく大変だったな。でも、それもまたいい思い出よ」

そう言いながら、恵は手近にあった柵の上に手を置いた。その柵の向こう側は海につながる水路になっている。

「思い出かぁ。今日も清麿たちと一緒だったら楽しかったのにね」
「そうね……でもモチノキ町からここまではすごく遠いのよ。さすがにこんなところまで来てもらう訳にはいかないわ」
「じゃあ、僕たちの相手をしてよ」

 何げない会話に割って入る別の声。
 その声がすぐ近くだったので驚きながら声の主を探す恵だったが、先にその姿を確認したのはティオであった。

「あ、あんたたちは……?!」

 そう、そこには老人が一人、そして子供が一人いた。
 一人は「?」マークがこれみよがしに頭頂部についている大きなシルクハットをかぶった、立派な髭の紳士。
 そしてその肩に乗って声をかけたのは、Kマークをおなかにつけた、人形のような少年だった。

「腹話術……じゃ、ないわよね」

 振り返り、少し遅れてその姿を確認した恵も、その目立つ容姿の前に冷や汗をひとつ垂らす。

「僕はキッド。ご察しの通り魔物の子供だよ」
「そして私はナゾナゾ博士。なんでも知ってる不思議な博士さ」

 右手の人差し指でシルクハットを持ち上げながら、ナゾナゾ博士は不敵に笑う。

「恵!」
「わかってるわ!」

 ティオの叫びに答え、恵がトートバッグから一冊の本を取り出した。朱色に染められた一抱えもあるほど分厚いハードカバーの本こそ、ティオがこの人間界にいるための必須アイテム、魔本である。
 そしてナゾナゾ博士もまた、装丁が同じ本を小脇に抱えている。唯一の違いは、そのカバーの色が灰色であるということだ。

「念のために聞くわよ……何が目的?」
「面白い事を聞くね、ティオ君」
「!」

 その瞬間、ティオの意識は自分が質問したことから、なぜこの怪しい風体の老人が自分の名前を知っているのか、ということに切り替わり、その表情がこわばってしまう。

「なぜ名前を知っているの、と思っているのかね? 言っただろう?私はなんでも知ってる不思議な博士だと」
「そうさ! そして僕たちは君たちが引き受けた極秘任務の内容を聞き出しに来たんだ!」
「ああ……キッド、それはウソなんだ」
「!!?」

 口に手を当て微笑しながらさらりと衝撃の事実(キッドにとってのみだが)を告げられ、キッドの顔が驚愕のものに代わる。
 そんな二人を険しい表情でにらみつけている恵。言葉も発さずにその一挙手一投足に注意を払う彼女に、ナゾナゾ博士はニヤリ、とその唇の端をつり上げた。

「そう怖い顔をすることもあるまい、大海恵君」
「……戦いに、来たのね」
「そうだ。魔物の子たちが遭遇すればいずれ戦いになる。そのことはよく知っているはずだね?」
「ええ……だけど……」
「戦いばかりを求める血気盛んな魔物ばかりではない。そう言いたいのかね?」

 一瞬、ガッシュと清麿のことを思い浮かべていた恵の表情が、すべてを見透かされたのかのような驚きの表情に代わる。

「確かにそうかもしれない。だが、君達はそんな魔物に遭遇したらどうする気かね?防御の術で攻撃を防ぎきるか、逃げるだけなのかな?」
「! 私達の術のことまで知っているの?」
「そうだ。そして君達が弱い、と言うことまでね」
「なっ……!」

 ティオの額に青筋が立つ。瞬間、その両腕を大きく振りかざし、キッドの方に向ける。その動作で彼女の意図を悟った恵は、小さく息を吸い、そして叫んだ。

「サイス!」

 恵の叫びが朱色の魔本に光を与え、そしてティオに力を与える。クロスさせたティオの両の手から撃ち出された衝撃波は、真っすぐにキッドに向かって飛び、そして直撃した。
 ……だが。

「本当だ、博士の言った通り、彼女たちは強い攻撃が出来ないんだね」

 サイスの衝撃によって出来た煙の向こうから、キッドがその姿を現す。少し土煙に汚れてはいたが、ほとんど無傷と言っていいだろう。

「くっ……」
「それで終わりかね? では次は、君達の防御の術を見せてもらおうか! ゼガル!!」
「め、恵っ!」
「わかってるわ!セウシル!!」

 キッドの口から撃ち出された風の術を防ぐため、ティオと恵を包み込むように全方位のバリヤーが展開される。そのバリヤーに弾かれた風が、天へと突き抜けて行った。

「なるほど、自負するだけのことはあるようだ。しかし! まだ本についても魔物についても勉強不足のようだね!!」

 両の手を広げ、鼻を高々と上げるナゾナゾ博士の手にした本が、大きな輝きを見せる。

(あの本の輝き……あれだけの光り方は、ガッシュ君たちが戦っていた時にも見たことがないわ。それだけの強敵ということなの……?)

 恵の額から一筋の冷や汗が伝う。それは博士の言葉を肯定することを表してもおり、その緊張感はティオにも伝わっていた。
 だが、物事を考える余裕を、博士は与えはしなかった。

「ラージア・ゼルセン!!」

 博士の叫びとともに、キッドの両の腕が二の腕から切り離されて一つとなった。さらに巨大化したその腕が、恵に向かって一直線に飛ぶ。

「さぁ! もう一つの盾で防いでみたまえ!」
「言われなくてもっ!!」
「マ・セシルド!!」

 空間から捻り出されるように、ティオの眼前にピンクの丸い盾が形成される。キッドの拳は目標に到達する直前に、その盾に直撃した。二つの術の衝突による衝撃波が、それぞれのコンビを襲う。

「くっ……」

 ティオが小さくうめく。それは、大きな盾の向こうから感じる力の感覚だった。
 押されている……その事実に歯軋りしながらも、恵を守りたいという心が、盾の破壊をなんとか防いだ。
 巨大な腕が弾かれ、キッドの手に元どおり収まった時、ティオも恵も小さく肩で息をしていた。

「なるほど、さすがにその盾を防ぐには力不足だったようだ」
「ふざけないで……」

 博士のつぶやきに、上目使いでにらみつけながら、恵が反応する。

「私達の力をそこまで知っているのなら、もっと確実で効率的な方法で攻めてくるはずだわ。それなのにまるで私達を手玉にとっているような戦い方ばかり! 私達をなめるのもいいかげんにしてほしいわ!!」
「ホウ……では簡単に本を燃やされてしまった方がいいと?」
「!」

 恵の反論が、博士の言葉の前に封殺される。
 片眼鏡の向こうから恵を見る博士の目はまるで、すべてを見通しているかのような鋭い目をしていた。

「先程も言ったが、君達は弱い。少なくとも攻撃の術がひとつしかない上に、魔物にはほとんどダメージを与えられない以上、君達は敵のすべての術を跳ね返すしか戦う術はないだろう。違うかね?」

 シルクハットに手をかけながら語る博士の言葉を、恵もティオも、ただ聞いていることしかできない。

「では、ここでナゾナゾ博士のナゾナゾ・ターイム!!」

 しかし次の瞬間に片手を振り上げてにこやかに宣言する博士の前に、恵もティオもずっこける。

「な、なんなのよいったい!」
「では第1問!」

 ティオが両拳を振り上げて怒鳴りつけるが、博士は意にも介さない。

「上は赤色、下は緑色、そんな私のペットの名前はなーんだ?」
「し、知らないわよそんなの!」
「ブーッ!!不正解!ゼガル!!」
「きゃああぁぁっ!」

 問答無用に攻撃してくるナゾナゾ博士の前に防御の術さえ出す暇も無く、恵もティオも吹き飛ばされてしまう。

「第2問!本とは、いったいなんだ?」
「えっ……」

 しかし、続けて出された質問の前に、恵は一瞬沈黙してしまう。

「どうした?答えられないのかね?」
「……本は、魔物の子の力を、本の持ち主の心の力を借りて発動させるもの……」

 しどろもどろになりながらも、なんとか答えを紡ぎ出す恵。だが、博士のナゾナゾはそこでは終わらなかった。

「では、その術の種類は誰が決める?」
「それは……本が……」
「決めると思うかね? ならば君達はここで敗北するだけだぞ!」

 再び、博士の本が大きく輝き始めた。その光を見ながら、恵はさまざまなことを頭に思い浮かべていた。
 本の持ち主の役割、魔物の子、そしてその力。
 すべての因果関係が一つになった時に何かが導き出せるような予感はあったものの、その答えを導き出すには至らない。
 そして、思い詰めるあまりうつむき加減になる恵を見て、博士は再びその口を開く。

「どうした?ギブアップかね? それとも、あの天才少年・高嶺清麿君の助けを借りるかね?」
「?!」

 ぴくりと、恵の肩が動く。

(確かに、清麿君なら答えを既に知っているかもしれない。けど……それでいいの?)

 コンサートの日にマルスを退けたあの時から、恵の中での清麿という存在は、少なくともこの魔界の王を決める戦いにおいて大きな支えとなっていた。 だが、いつか、彼らとも戦わなければならない時がくる……王になれるのはただ一人なのだから。
 そんな事を考えていた恵に渇を入れたのは、他でもないティオであった。

「恵! 戦うわよ!」
「ティオ……」
「敵がどんな攻め方をしようと変わらないわ。すべての術をはじき返すだけよ!それに……あたしたちはガッシュとの約束をはたさなきゃならないんだからね!絶対に、あきらめちゃだめなの!!」
「……そうね」

 ゆっくりと、恵が顔を上げる。そこには、先程までの不安のない、自信に満ちあふれた表情がある。

(ウム、いい表情だ。それに……)

 ぼうっ。
 朱色の魔本が、これまでと違う輝きを見せた。
 その輝き方が表すものに驚きながら恵が本をめくると、そこには彼女が予想していた通りのものがあった。

「ティオ! 新しい呪文が出たわ!!」
「ほ、本当!?」
(どうやら、ナゾナゾの答えを導き出したようだ)

 そんな二人を見つめながら唇の端に笑みを浮かべた博士はその両腕を大きく開き、叫ぶ。

「ホウ……ではその新しい術で、君達がどう変わるのか見せてもらおうか!」
(もし私の推測が正しいとしたら、新しい術は……!)

 それに対し、恵は言葉も発さず、意識を集中していた……その目標位置を定める為に。
 その位置は……キッド。

「ガンズ・ゼガル!!」
「第四の術!ギガ・ラ・セウシル!!」

 二人の叫びが同時にその場の空気をふるわせ、音となった。
 その音に先に反応したのはキッドだ。その腕部が展開し、ガトリング砲のように変形する。そこから無数の風の塊が発生し撃ち出されるが、次の瞬間、彼の周囲を包み込むようにバリアーが展開される。
 そのバリアーは、全ての風の塊を完全に受け止めた。

「キッドの周囲に……バリアーだと!?」
「そうよ! この術はセウシルに似ているけど少し違う……敵の術を封じ込め、はじき返すのよ!!」

 その恵の言葉を肯定するように、バリアー内で行き場を失った風の力が反射され、キッドに直撃する。

「ウワァァァァッッ!!」
「キッド!!」

 バリアーが解かれ、倒れるキッドに思わず駆け寄る博士。対する恵には、ティオが駆け寄っていた。

「すごいわ恵!どうしてあの術の能力が分かったの?!」
「なんとなく、ね。でも、これで少しはあのキッドと博士に対抗できる……戦うことができるわ!」

 ぐっ、と本を持っていない方の手を握り締める恵。その拳に自分の拳を合わせることで答えたティオは、博士達の方に向き直った。その表情は戦いへの強い意志を表しているかのようだ。

「さぁ……反撃開始よ!」

 自らに気合いを入れるように、ティオが大きく叫ぶ。だが、その一部始終を眺めていたナゾナゾ博士は相変わらず、その唇には笑みが浮かんでいる。  そう、まるでティオの成長を見抜いていたかのように。

「なるほど、確かに面白い術だ!しかし、盾だけではどうにもならない状況もまた、存在するということを教えてあげよう!!」

 博士はその笑みを崩さず……いや、むしろ見せつけるようにシルクハットを少し指で押し上げる。その言葉で何をしたいのかが分かったのか、その両手を地面に付けるキッド。
 そして、博士が新たな術を叫んだ。

「コブルク!!」

 ガシャン。
 キッドの下の口が階段状に展開した。そしてそこから小さなキッド達が次々と降りてくる。

「オイッチニ、オイッチニ」

と、かけ声も元気いっぱいだ。
 しかし、そんなかわいいキッド達に対し、ティオ達が感嘆の声を上げるわけがない。

「め、め、恵!ちっこいのが!!」
「い、いったいどんな攻撃を仕掛けてくるの……?」
「そーれ、かかれーっ!!」

 困惑する二人に構わず突撃命令を下すキッド。その声とともに一斉にティオに、恵に飛びかかる子キッド達。

「直接向かってきた!?」
「こ、こいつ、以外と力が……強い!!」

 飛びかかり、組み付き、そして押さえ込む。
 それぞれの子キッド達が驚異的な腕力を持っているために振り払うことも出来ず、恵はついに片膝をついてしまう。

「恵! くそっ、このぉっ!!」

 助けに行こうと叫びもがくティオだったが、恵と同じように全身に子キッドが張り付いた状態では、まともに動くことすらままならない。

「こ、これじゃ、セウシルで防ぐこともできない……!」
「どうした、降参かね?」

 もがく二人を見下すように、博士が声をかける。

「答えを見つけたと思っていたのだが、どうやら勘違いだったか?」
(答え……何の……ナゾナゾ、の?)

 瞬間、恵の頭の中を様々な光景が流れた。
 自分を守るため、必至で立ち上がるティオ。
 多忙な自分といつも一緒にいるためにスケジュールを合わせ、睡眠時間も削ってきたティオ。
 ようやく巡り会えた信じられる仲間、ガッシュとの誓いを果たすため、強くなりたいと願うティオ。
 そんなティオのために、自分が出来ることは……?

「恵ーっ!!」

 そんな恵のところにティオがやってくる。相変わらず子キッドを体中にくっつけたままだが、そのまま引きずるように恵のそばまでやってきたのだ。

「ティオ……」
「今助けるわ、恵!!」
「そんなこと言ったって、あなたも……」
「関係ないわ!」

 ぴしゃり。
 ティオは恵の反論を一言でねじ伏せた。

「ずっと言ってきたじゃない、私は恵を守るって! たとえどんな強い敵とぶつかったって、絶対に戦い抜いて、ガッシュとの約束を守るって! だから……その言葉を、私は絶対に守り抜くのよ!!」

 強引に、恵に張り付いている子キッドをむしり取るティオ。
 そして、必死の形相で子キッドと格闘するティオの言葉がトリガーとなり、ようやく恵は見つからなかった答えを見つけだした。

(そうか……簡単なことだったんだわ!)

 勢いに任せ、ものすごい表情で子キッドをむしり取るティオの手を、そっと、やわらかく恵は掴んだ。

「め、恵……?」
「ティオ。大事な事よ、よく聞いて」

 その真剣な眼差しの前に、思わず元の表情に戻り、恵を見上げるティオ。

「今まで、私はこの本にティオの術が全て書いてあるのだと思っていたわ。でも、それは違った……ティオ、あなたが成長すれば、その心に応じて、新しい術が本に書かれるの……あなたが自分の使える術を決められるのよ!」
(正解)

 ティオの肩を叩きながら告げる恵に、博士は満足そうな笑みを浮かべた。

「では、その心で生み出される力で、私たちを倒してみせたまえ! キッド!!次の術だ!」

 キッドに呼びかけ、子キッド達を回収させるナゾナゾ博士。本のページをめくり、次の術を出す体制を整える博士を見て、ゆっくりと恵は立ち上がり、ティオは同時に戦うべき敵に向き直る。

「恵!あとどれぐらい術が使えると思う?」
「多分1回か、2回……ね」
「あまり余裕がないわね。じゃあ、次の攻撃を防いだら一気にあのキッドとか言う魔物に突撃するわ……一気に勝負を決めるわよ!」
「わかったわ……必ず次の攻撃は防ぎ切る!」
「作戦会議は終わったかな? ではそろそろ、私たちも切り札を使わせてもらおう! ギガノ・ゼガル!!」

 子キッドたちを収納したキッドの腹部が展開し、巨大な砲身が出てくる。その砲身から撃ち出された強力な風の力を目の当たりにしながらも、恵はひるむことなく、残された力を解放した。

「正面からの攻撃ならっ!マ・セシルド!!」

 ピンク色の盾が、風の力を受け止めた。力と力のぶつかり合いが、再び双方に衝撃波を発生させる。  本来ならば、その衝撃波すら届かないものだ。しかし、キッドの攻撃を完全に防ぎきろうとしたその瞬間。

「……つっ!!」

 恵が突然崩れ落ちた。瞬間、盾は消滅し、防ぎきれなかった力の余波が二人に襲いかかる。

『きゃあぁぁぁっ!!』

 二人の女性の叫びがこだました。  ティオは何とか倒れ込まずに済んだが、恵は倒れ込んだ姿勢のまま動かない。

「め……恵っ!?」
「フム。どうやら、先ほどの子キッドによる攻撃で手痛いダメージを受けていたようだね」

 そんな彼女のところにゆっくりと博士が歩み寄ってくる。キッドを肩に乗せたまま。
 だが、ティオはその博士の進路をふさぐように移動し、その手を大きく広げる。

「と……通さない……わよ……」

 彼女は、肩で息をしていた。足はダメージのせいか小さく震え、気を抜けばあっという間に恵と同じ体勢になってしまいそうなそんな状態だ。
 だが、それでもティオは立ち塞がる。大事なパートナーを守るために。

「恵……立って!お願い!まだ敵は術を使い尽くしていないわ! 最後まで……最後の瞬間まで一緒に戦って!!」

ティオの悲痛な叫びに、ぴくりと恵が反応した。かろうじて気絶することだけは免れたものの、本を取り落とさないように持っているのが精一杯で、体に隠すことすら出来ない。 だがそのおかげで、再び反応した本の光を見ることは出来た。

「博士、もう戦いはおしまいなの?」
「イヤ……見たまえ。彼女たちの本が再び輝いている。一つの戦いで二つの術を会得する……なかなか見られるものではないぞ」

 そんな博士の言葉が示すように、朱色の魔本は大きな輝きを放ち続けている。
 かろうじて魔本のページを読みとることが出来た恵は、かすれるような声で、術を発動する言葉を絞り出した。

「第……五の術……サイフォジオ……!!」

 瞬間、ティオの手のひらの上に、巨大な剣が出現する。 光り輝くその剣は一対の羽と帽子のような柄を持ち、中心に据えられた球体が、刀身を含む全てをまとめ上げていた。

「こ、この剣……は?」
「は、博士!武器が出て来たよ!? 彼女たちに攻撃能力はないんじゃなかったの?!」
「フム……どうやら新しい術のようだ。だが!その使い方もわからぬようでは意味がないぞ!!」

(そう……この術の能力をうまく使えなければ、この戦い、負ける……!)

 博士に言われるまでもなく、ティオにはその意味がよくわかっていた。
 そして、第四の術を発動させたときの恵と同じように、ティオにはある確信にも似た考えが浮かんでいた。

(恵が言ったことが本当なら、私が強く望んだことが、この術の力につながっているはず……なら!)

「考え込んでいるみたいだね、博士?」
「ウム、あの術が攻撃の術ならば我々に命中させることで効果が出るものでしかないと考えられるからな。狙いを定めているのだよ」
「じゃあ、あの攻撃をよけてしまえば僕たちの勝ちなんだね!さすが博士!」
「ハッハッハ、私の名前はナゾナゾ博士!勝利の法則も知っている完璧な博士さ!!」

 だが、そんな博士の考えを覆すかのように、ティオはくるりと、彼らに背を向けた。

「恵……いくわよぉっ!!」
「な、何っ!?」

 そう、ティオはその剣を恵に対して振り下ろしたのだ。

(なんと!攻撃の術ではなく……)

 恵に突き刺された剣の側面についていた羽が、ぐるぐると回転をはじめる。同時に、刀身を伝わった力が、恵の体を鈍く光らせていく。

(……回復の術だというのか?!)

 剣がその実体を失ったその頃には光もまた消滅したが、その数秒後、ゆっくりと恵がその体を起こし、自力で立ち上がる。

「恵! もう大丈夫なの?」
「ええ……第五の術・サイフォジオは回復の術なのね。でも、よくわかったわね、術の効果が」
「うん。恵が大切なことを教えてくれたおかげよ!」

 ティオが右手の親指を立てて、恵の言葉に応える。そして再びキッド達の方に向き直り、強い目でにらみつける。

(まだ本が光っている……どうやら、あの術は怪我だけでなく、心の力も回復するようだな)

 そんな様子を言葉も発さず見つめなるナゾナゾ博士の口元は、相変わらず笑みが浮かんでいた。肩の上ではキッドが目をまん丸にしてあわてふためいていたのだが。

「は、博士!あの本の持ち主、また立ち上がってきたよ!もしかして不死身なの?!」
「……」

 饒舌だった博士が沈黙した。キッドの問いにすら答えず、ただその目をシルクハットに隠している。

「は……博士?」
「まさかそんな形で成長を遂げるとはね……驚いたよ」

 そんな風に呟いきながら博士が隠していた顔を上げた。その瞬間、その優しい眼差しにティオも恵も面食らってしまう……それまでの戦意が萎えてしまうほどに。

「戦いはこれまでだ。これ以上大きな術は使えない」
「……ウソね」
「!!?」

 博士の言葉を即座に否定する恵に、ティオもキッドも驚きの表情を見せる。

「ずっとあなたは、真正面からの攻撃しかしてこなかった……まるで私たちの力を試して、しかも成長するようにし向けたがっているみたいに。最初から、私たちの本を焼く気はなかったんでしょう?」
「鋭いね。その通りだ」

 ニヤリと、博士が笑みを浮かべる。

「君たちに足りないのは実戦だろうと思ってね。案の定、一つの戦いで一気に二つもの術を身につけた。だが、戦いに勝てば必ず術が増えるというわけではないぞ」
「ええ……それはわかるわ。さんざん答えさせようとしていたものね、ナゾナゾで」

 恵も、魔本を抱えながら博士を見据え、笑みを浮かべた。だがどちらかというと乾いた笑みに見えなくもない。 その笑みを受け止めながら、博士は再びその目をシルクハットの奥に隠し、きびすを返した。

「では、また会おう」
「ひとつだけ、教えて!」

 その背中に、恵は声をかける。かけざるを得なかったのだ。

「どうして……私たちを成長させるような戦いをし向けたの?」
「……間もなく、『悪しきもの』が蓄えた力で本格的に動き出す。その時に、一人でも多くの心強い仲間達が欲しい……それだけだよ」

 

 ナゾナゾ博士は歩み去っていった。
 その後ろ姿が見えなくなってから、ティオは緊張の糸が切れたようにその場にへたり込んだ。

「いいように、してやられちゃったわね」
「全く、人をもてあそぶのもいい加減にして欲しいわ」

 優しい口調の恵。それに対し、威勢だけはいいがその場から立ち上がることすら出来ないティオ。

「……帰りましょ。明日もまた仕事なんだから、ゆっくり休まないとね」

 そう言うと、恵はティオをひょい、と小脇に抱えた。

「ち、ちょっと恵、降ろして、恥ずかしい!じ、自分で歩けるから!!」
「そう? その割には立ち上がることもできないようだったけどなぁ」
「ああ、もう! だったらせめておんぶにしてよ!ねぇ!ねぇったらぁ!!」

 

日が傾き、朱色に染まりはじめた公園を、二人の少女が歩いていた。 この後起こる戦いをくぐり抜けるために得た、新たな力を心に刻んで。

 

- 了 -