宝物

「お嬢様」

シェリーにそう声をかける者と言えばそう多くはない。
しかもそれを口癖のように言う者と言えばただ一人だ。

「先ほど、お部屋からこのようなものが見つかったというご報告がありました」

白い髭の執事は、小さな箱を差し出した。簡素ながらも中の物をしっかり保護するそれは、子供の頃によく見た衣装入れである。
シェリーは何も言わず、その箱をゆっくりと開けた。中には、少し汚れた上にほころびを繕ったあとがある、悪くいえば薄汚れた赤い服が入っている。

「・・・これを見た子、とても驚いたでしょう?」
「ええ。お嬢様には似つかわしくない、一刻も早く捨ててしまいたいと嘆いておりました」
「そう・・・でもね、これは私の大事な大事な宝物なのよ」

それは運命の日。
シェリーが人生に絶望し、川に身を投げたその少し後のことである。

その身を呈して彼女を助けた少女・ココは、まだうつろな目をしたシェリーを、自分の家まで連れ帰った。濡れた服を乾かすためである。

「大丈夫? 寒くない?」

火をおこし、体を拭く布を探しながら声をかけるココだったが、シェリーはただ無言で、力無くうなだれているだけだった。

「とりあえずその服は脱いでね。代わりの服、持ってくるから」

せわしなく、狭い部屋の中を走り回るココ。対照的に全く動かないシェリーの頭の中には、この場所に来る直前、目の前にいる少女にかけられた言葉と、その数時間前に母親にかけられた言葉が何度も何度も、頭の中を巡っている。

「どうして・・・」

ようやく出て来た彼女の言葉は、細く小さく、かすれていた。

「どうして、助けてくれたの・・・?」

見上げることもなく、ココのことを見つめるようでもなく。 ただ言葉が口をついて出た・・・そんな声だった。
対するココは、ようやく見つけた服を抱えながら、その目をぱちくりさせていた。

「どうして? 人を助けるのに理由なんかいらないでしょう?」
「でも、一つ間違えれば、あなたも・・・」
「いいから、とりあえずこれを着て」

タオルでシェリーの顔を拭いながら、その傍らに赤い服をそっと置くココ。
それでも体を動かそうとしないシェリーに、ココは仕方なく、彼女の濡れた服を脱がしにかかった。
シェリーの体にべったりと張り付いたその服は、これ以上ないぐらいに彼女の体を冷やしていた。苦労しながらも服を脱がし、替えの服を着せたココは、自分のベッドに彼女を寝かしつけることにした。そうする以外に彼女の体を温める方法を思いつかなかったからだ。

「とりあえずこの服は乾かしておくわ。後で温かいスープを持ってくるから・・・」

そう言いながらベッドの横に立ったココは、シェリーがその言葉を聞いていないことに気づいた。
彼女は小さな寝息を立てながら、既に眠ってしまっていたのだ。

「・・・お休みなさい。いい夢を見てね」

 

「そうでしたな。そのお話も何度も聞かされております」

ティーカップに紅茶のおかわりを注ぎながら、執事は小さく相づちを取っていた。良家の娘にふさわしくなるための厳しい修行の合間、彼女の愚痴や世間話につきあっていたのは彼とココだ。さすがにその相手には慣れている。

「そうだったかしら・・・でもこの後の話も大事なのよ」

 

息を弾ませながら、シェリーは天高く昇った太陽の下を駆けていた。
こっそり屋敷を抜け出し、その脇には白い箱を抱えて走る、その目的地はただ一つしかない。

「ココ!」
「シェリー!!」

二人の声が見事なまでにシンクロする。元気になったシェリーの来訪を喜ぶココと、自分を助けてくれた少女との再会に喜ぶ少女の、それぞれの喜びが重なり合ったものである。

「またきちゃった!」
「うん!歓迎するよ、シェリー」
「それでね・・・」

シェリーは一歩下がると、抱えていた箱をおずおずと差し出した。

「これ、プレゼント」
「えっ・・・?」

驚きながらその箱を受け取り、ゆっくりと開けるココの目に飛び込んできたのは、それまで彼女が見たこともないような、純白のドレスだった。

「ねぇ、着てみて!」
「あ・・・うん」

押し込むようにその背中を押して家の中に入るシェリー。驚きと勢いに押されながらも、ココは自分の部屋にシェリーと共に入り、そして着替え始めた。
十数分後。

「うわぁ・・・!」

シェリーはおもわず感嘆の声を上げた。
きれいに縁が刺繍で飾られた白いドレスに身を包んだココの姿は、それまでの貧しい家に生まれた少女のものではなかった。さすがに顔や髪に手入れを入れることが出来るわけではないが、それを行えばシェリーにも負けないぐらいの気品を生み出すのではないかと思われるほどだ。

「すっごーく、似合ってるよ、ココ!!」
「う・・・うん・・・」

しかし、喜びにその体を踊らせるシェリーとは対照的に、ココはとまどいの色を隠せないでいた。今まで着たこともなかった服を着せられてしまったことに対する不安が喜びを上回ってしまった事と、その事をシェリーにどう答えればいいのか迷っている・・・そんな表情だ。

「シェリー・・・やっぱりこんないい服もらえないよ・・・」
「え?どうして?すごく似合ってるのに」
「だって、こんな服を着て外に出たらみんなに笑われちゃうよ・・・」

ココはそれだけを言うのがやっとだった。実際の所は笑われるどころか叱責を受けるに違いないのだ。その服はどこから盗んできたのだ、と。

「そっか・・・でも、やっぱりその服は持っててよ」
「で、でも・・・」
「あのね、その服・・・実は私のお気に入りの服なんだ」

にっこりとシェリーが笑う。そんな彼女の衣服は、普段彼女がベルモンド家で着ている普段着では、ない。

「ほら、この服もココが着ていた服でしょ? だから、私の服も、ココに持っていて欲しいの」

そう、彼女が今着ているのは、数日前にこの家でココに着せてもらった赤い服だ。この服を着ているせいなのか、シェリーは家を抜け出してココの家にたどり着くまでの間、誰にも声をかけられることはなかった。

「私、この家に来た記念にこの服をきてここに来たの!だから、ココもいつか、その服を着て私の家に来て欲しいな、って」
「そっか・・・ありがとう、シェリー」

不器用なシェリーの心遣い。そんな彼女の心を無にしたくない想いが、ココにほほえみを生ませた。 その時のココの笑顔を、シェリーはずっと忘れたことはない。彼女の願いであったココのベルモンド家訪問が、現在にいたるも実現していないとしても、だ。

 

「でも・・・」

ぎゅっと、シェリーは思い出の赤い服を抱きしめた。子供の頃の自分の匂いと、ココの優しさが残る、彼女にとっては大事な宝物だ。

「私があげたあの服は、あの炎の中に消えてしまった・・・」

子供の頃の思い出よりもより鮮明に、彼女の脳裏に残る紅蓮の炎。そのただ中に立つココの姿もまた、彼女の心を捕らえて離しはしない。その光景こそが、今の彼女を駆り立てる原動力なのだから。

「いつまで休んでいる」

不意に声がかかった。このベルモンド家でそんなぶっきらぼうな言い方をする男はただ一人しかいない。

「そろそろ行くぞ。近くに魔物の気配がするからな」

物思いに耽っていた彼女の気を削ぐそんな声。しかし、今の彼女に出来るのは、その声に応え、立ち上がることのみだ。

「そんなに急かさなくてもいいでしょ! まったく、場の雰囲気を全く読まない人ね、あなたは!」
「関係あるか。俺にとって重要なのは戦いに勝ち、王になることだけだ」
「まったく・・・なんとかならないの、その一方的な性格は」
「そう思うならもっと俺にペースについてこれるようになれ」
「・・・あんたねぇ・・・」

互いに口喧嘩を交わしながら歩き出すブラゴとシェリー。そして、その後ろ姿を眺めながら微笑んだ執事は、丁寧に赤い服をたたみ、衣装箱に納めたのだった。

 

- 了 -