「なんだ、それは」
昼下がりのとある街角。
黒い服を身にまとった威圧的な男が、連れている白い服の女性が手にしているものに対して問いかけた。
「日傘よ。この季節は日差しがきついから」
言いながら、女性は服と同じ柄の白い傘を広げ、さして見せた。
洗練されたデザインのドレスに、柄まで合わせた日傘を支えるきらびやかな手。
一言で表すならば優雅。
それ以外には例えようのない立ち姿ではあったが、黒い服の男にとっては、普通の男なら放っておかないような魅力的な姿には興味などないようだ。
「フン。そんなものを持っていたら、いざというとき戦いにならんぞ」
「な・・・」
その反応に一瞬絶句するものの、自分が置かれている立場を再認識したのか、そのまま黙り込んでしまった。
黒い服の男はブラゴ、白い服の女性はシェリーという。 二人はある魔物と、その魔物に連れて行かれた少女を追って、世界各地を転々としていた。だが、その影はもちろん、手がかりすら全く得られていない状況だった。
「わかっているのかシェリー。そんなことでは・・・」
「・・・この戦いを勝ち抜けることは出来ない、でしょう?わかっているわよ」
憮然とした表情のブラゴに、プイと顔を背け、頬を膨らませながら答えるシェリー。
「けどね、この前の戦いでふがいなく倒れてしまった教訓を生かした結果でもあるのよ、これは」
シェリーは、さした傘をゆっくりと回しながら言葉を続ける。
が。
「いい、日傘というものはね、太陽光線から有害な光線を遮るためのものなのよ。特に女の子の肌は…」
「来たぞ」
説明口調になったシェリーを不意に遮り、ある方向を促すブラゴ。 一瞬、まるで人の話を聞いていなかったと言わんばかりの態度に憤りを感じかけたシェリーだったが、視線を向けたその先にいる人物たちを見た瞬間、それは戦慄に取って代わられた。
蒼く、長く伸びた髪を後ろで束ねた背の高い少年。その身が醸し出す雰囲気は独特の、強者の持つオーラのようなものを感じさせる。
そしてその後ろには、きらびやかな装飾が施された、高貴なイメージを連想させる白いスーツを身にまとった少女が控えている。銀のショートカットが印象的なその少女の小脇には、雪の色を思わせる、真っ白な本が抱えられていた。
「あなたたちは・・・」
問いかけたシェリーに対して、銀髪の少女はゆっくりとその視線をシェリーに、ブラゴに向ける。
「私の名前はミーシャ。そして彼はレガイア。あなた達を断罪する者よ」
「フン・・・」
力強く放たれた宣戦布告のその言葉にも、ブラゴはつまらん、とばかりに息を漏らしただけだった。
「感謝するわ。まずはここまでついてきてくれたことをね」
数分後。 二組のコンビは、町はずれの広場へと移動していた。ミーシャと名乗る少女が場所の移動を提案し、シェリーがそれに応じたのである。
「・・・話し合いに応じてくれるような感じではないわね」
「当然です。存在を許されぬものを裁くですから。我らの正義の元に」
シェリーの、諦めにも似た呟きを両断するようにはっきり断言するミーシャ。
その言葉の端々から、シェリーはある推論を導こうとしていたのだが、それよりも早く、相手のほうが動いた。
ゆっくりと、不適な表情を浮かべながら、レガイアがブラゴに迫る。対するブラゴは、ただすっと、右手をかざすだけだった。それが、シェリーにとっても戦闘開始の合図となる。
「レイス!」
シェリーの力強い言葉が、ブラゴの手のひらの先に力として収束する。全てを押しつぶす圧力の塊。それはまっすぐにレガイアに向けて打ち出された。だが、その力が直撃しようとしたその瞬間、ミーシャもまた、力を生み出す言葉を放った。
「スレイ!」
その言葉に対して生まれたのは一本の剣。レガイアの右手から伸びるように発生した光の剣は、そのまま漆黒の、力の塊に向かって振り下ろされる。本来ならば全ての物質を発射方向に押しつぶすはずのその塊は、振り下ろされた剣によって両断され、霧散した。
「・・・レイスを・・・切った!?」
シェリーが驚きの声を上げるのもつかの間、続けてレガイアが左手を振り上げるのを確認したミーシャが攻撃の言葉を叫ぶ。
「ソルド!!」
その言葉に対し、左手に発生したのは実体のある剣だった。上段の構えで剣を手にしたレガイアは、そのままステップを踏むようにブラゴに接近すると、一気に地面まで剣を振り下ろした。が、もちろんブラゴも無反応ではない。突き出していた手を引っ込めるとそのままバックステップでその攻撃をかわす。だが、回避速度が若干遅かったのか、その肩口から小さく血しぶきが上がる。
「ブラゴ!」
思わず声を上げるシェリーだったが、ブラゴは特に問題はない、と背中で語る。自身と強気に満ち溢れたその立ち姿は、まだまだ戦える、という意思をシェリーに与えた。 だが、そんなシェリーの叫びに、違った答えを出した者がいる。もちろん、相対しているミーシャだ。
「安心して。本の持ち主の方には手は出さないわ。私たちが倒すべきものは魔物の子だけだから」
「魔物だけ・・・?」
シェリーはずっと気にかかっていたことがあった。断罪という言葉、そして今の魔物しか狙わないという発言。 今までの敵とは微妙に異なる・・・なにか違和感のようなもの。その正体が何であるのかをずっと考えていたのだ。
(もしかして、この子も心を操られているんじゃ・・・)
一瞬、脳裏に親友の顔が浮かぶ。打ちのめされていた心を命ごと救ってくれた親友は、ある魔界の子供に洗脳され、彼女のそばを去った。今でも彼女は、その影を追い続けているのだ。
だが、疑問と苦悩が混じる表情を読み取られたのか、ミーシャは本から目を離し、シェリーのほうに向き直る。
「そうよ。あなたも知っているでしょう?魔界と呼ばれるところの戦いのために子供たちがこの世界に送り込まれていることを。魔界の王を決める戦いというけれど、その戦いのためにこの世界に与えられる被害は尋常じゃない・・・そうでしょう?」
ミーシャの言葉にはシェリーも思い当たるところがあった。あまりに強大な魔法の力は、時に家を焼き、大地を凍らせ・・・人が死ぬことすらある。
「この世界の者たちを勝手に巻き込む・・・そんな戦いを終わらせるため、私は戦っているの。魔界の子供を倒すために遣わされた天の使者、レガイアと一緒にね」
ミーシャの言葉は力強く、その中にある意思の強さまで感じられる。そしてその言葉の正当性、そして明らかなる正義への意思。 自分の目的と思わず照らし合わせてしまったシェリーは、自分と彼女との違いを痛感し、うつむいてしまう。
「そういう事だ・・・おとなしく散れ、悪しき魔物よ」
レガイアが両手を空に向ける。それはミーシャによって中断された戦いを早く再開させたいと思うレガイアの意思の表れであろう。
「ウィグ・ソルド!!」
その意思に答えたミーシャの叫びに呼応して出現したのは数十本の剣。それら全てが、振り下ろされたレガイアの両手の動きに従うようにブラゴに向かって飛ぶ。
「シェリー!!」
ブラゴの叫びに、はっ、とシェリーが正気に戻る。慌てて視線をブラゴに戻し、言葉を放つ。
「グラビレイ!」
飛来する剣の軌道が、その言葉により変化した。あとほんの少しでブラゴを傷つけたであろうその剣たちは、上からかかった重力により次々と大地にたたきつけられ、消滅する。
「まだ・・・戦う気なの?」
反射的にとはいえ、抵抗の意思を示したシェリーに、ミーシャが問い掛ける。
数瞬の間考え込んだシェリーはやがてゆっくりと、ミーシャにも負けない意思の光を目に宿して、はっきりと答えた。
「あなたにはあなたなりの正義があるかもしれない・・・だけど、私にも、誰にも譲れない私自身の正義があるの。一番大事な友達のため・・・そのために選んだ道なのよ」
フン・・・と、ブラゴが小さく息を洩らすと、それまでほとんど喋らなかった彼が口を開いた。
「それに、あんたが知らない現実って奴を俺は知っている・・・いいかげん猿芝居は止めたらどうなんだ?レガイア」
「・・・何のことを言っている?私にはさっぱりだ」
「この戦いを生き抜くためには、人間などと組まなければいけない・・・下らんルールだが、そのルールを有効に生かそうとするなら、意志の強い相手を選択するのは悪い手段ではない」
両腕をポケットに突っ込み、威圧する体勢を維持しながら、ブラゴは言葉を続ける。
「その清廉潔白そうな表情の奥でどんなことをやってきているのか・・・全てここで明かしてもいいんだぞ」
「・・・ブラゴ、あなたもしかして・・・」
「ああ、俺はこいつのことをよく知っている・・・こいつは、言葉巧みに他人を利用するケチ臭い奴なんだよ」
シェリーが背後から投げかけた疑問に、ブラゴは振り返ることもなく答える。その言葉はどちらかというと、シェリーよりもミーシャに投げつけたものだったからだ。
案の定、一瞬驚愕の表情を見せ、考え込もうとするミーシャだったが、直後のレガイアの言葉に引き戻された。
「魔物の言葉に何を戸惑う! 我らの崇高なる使命を忘れたのか?」
「そうね・・・私たちは魔物たちを一掃することが役目だったわ」
「一気にとどめを刺すぞ!最大の術だ!!」
叫びをあげたレガイアが再び天に両手をかざす。しかし今度は両の手を、剣を握るように組み合わせている。
「いくわよ!! ギア・ソルディス!!」
レガイアの手に、巨大な剣が握られた。その大きさは彼の身長を超えるほどに大きく、重厚な刃を携えていた。 だが、その剣を見てもブラゴは驚きすらせず、仁王立ちの状態を維持したままだった。
「フン・・・俺を魔物というが、レガイア・・・貴様も同類だろう?」
不敵に放ったブラゴの言葉はレガイアの額に一筋の汗を流したが、かまわずブラゴに向かって剣を振り下ろす。 その一撃は、その大きさからは考えられないほどに速く、そして直撃すれば確実に命を奪いそうな、そんな一撃だった。
だがそれはもちろん、直撃すればの話だ。
「アイアン・グラビレイ!!」
瞬間。 レガイアは強烈な力の奔流というものを味わった。空から、見えない力が自分を大地に叩きつけようとする。 抗うという行為を行う事すら許されず、彼は大地にその体を埋める事となった。
「ぐぁぁぁぁぁっっ!!」
「れ・・・レガイア!!」
悲しみの叫びをあげるミーシャに、シェリーはゆっくりと近づいていった。それは戦いの終焉を意味する行動でもある。
「安心して。私もあなたには手を出さないわ」
「そんな・・・神の使者が・・・魔物に倒されるなんて・・・」
「・・・聞いて」
崩れ落ちながら顔を伏せ、涙を流すミーシャの肩に、シェリーは軽く手を置いた。
「ブラゴが言ったことは本当よ・・・あのレガイアって子も魔物なの。あなたが手にしているその本が何よりの証拠よ」
ゆっくりとなだめるような口調で言うと、シェリーは自分の持つ黒い本をかざして見せた。ミーシャの持つ白い本とは、色こそ違うもののデザインは全く変わらない。
「これは・・・」
「あなたがあの魔物にどんなことを言われたかはわからないわ。でも、あなたの願い、想い・・・それはきっと本物じゃないかしら。そうだとしたら、あんな魔物の力を借りなくても、きっと想いは遂げられるわ」
噛み締めるように、ゆっくりと言葉をつづるシェリー。それはある意味では、自分自身への問いかけ・・・いや嘲りだったのかもしれない。 シェリーが追い続ける存在に対抗するにはブラゴの力が必要不可欠なのだ。ある意味で、自分はミーシャに言ったことと逆の道をたどらなければならないのだから。
「ぐぉぉぉぉっ!!」
咆哮があたりに響き渡った。倒されたと思っていたレガイアが、気合の声と共に立ち上がってきたのだ。 髪留めが外れ、乱れた髪が全身にまとわりつくその姿は、神の使者というよりはただの悪魔のように見えた。
「ミーシャ!!術だ!!一刻も早く奴を・・・!」
叫びながらレガイアが振り向いたその視線の向こうには、立ち上がったミーシャがいた。だがその手には本と共に、火をつけたライターが握られている。
「もう・・・終わりにしましょう・・・レガイア。私たちの負けよ」
「く・・・っそぉぉぉぉっ!!その本を焼くんじゃねぇぇっ!!」
慌ててレガイアはミーシャに飛びつこうとするが、その手は二度と、自らの本に届くことはなかった。
ミーシャの隣に立ったシェリーが、レガイアを見据えながら力を産み出す声を上げる。
「ギガノレイス!!」
ブラゴの手から打ち出された巨大な力がレガイアに叩き込まれ、彼は再び大地に叩きつけられた。同時に、ミーシャによって火をつけられた白い本は燃え尽き、レガイアの肉体をこの世界から消し去ったのだった。
「行くぞ」
何度も礼を言われ、別れを告げた後もずっと手を振り続けるミーシャに、シェリーは名残惜しそうに後ろを振り返っていたが、いらついたブラゴに恫喝されるとふくれながら反撃の言葉を返した。
「いいでしょ、少しぐらい名残を惜しんでも」
「そんなことでは、いつまでたっても奴のところになど・・・」
「たどりつけない、でしょ。わかってるわよ」
「フン・・・」
つまらん、といった表情のブラゴはそのまま先にすたすたと歩き出す。その強引な行動の前に、シェリーはその後を追うしかないのだった。