我聞社長、就任す!


「オレが・・・社長?」
「そうです」

驚きのあまり目をまん丸とさせている少年に、眼鏡の男はあっけらかんと言い放った。
少年の名は工具楽我聞。高校2年生である。
そして彼の下校途中に声をかけた眼鏡の男の名は辻原。我聞の父が社長を務める解体屋「工具楽屋」の営業部長である。
だが、その社長は3週間前に海外出張に出たっきり音信不通となっている。

「我々としても、これ以上業務を止めておくわけにはいかないのですよ。社長判断の必要のない簡単な仕事ならよいのですが・・・」

そこで辻原は、くいっ、と眼鏡を持ち上げる。これは我聞もよく見る仕草で、これはどうやら癖のようだ。

「そうもいかない仕事も多くて。しかも工具楽屋の社長は普通の人にはつとまらない」
「・・・」
「そんなわけで、我也社長が戻ってくるまでの間、あなたに工具楽屋をお願いしよう、と言うことに決まったのですよ」

工具楽屋の社長は普通の人にはつとまらない。
その言葉の意味を、我聞はよく知っていた。父に教えてもらっていたことが、その答えに直結するからだ。
だが、我聞は躊躇の色を隠せないでいる。父がこれまでに築き上げてきた実績を崩したくないという想いからか、それとも、突然のことで家族にも相談していない段階で即答すべきかどうかを悩んでいるのか・・・。

「なに、返答は焦らなくてもかまいませんよ。ご家族とじっくり相談の上、決めて下さい」

悩みすぎるが故に頭から煙まで吹き出しはじめた我聞に対して、辻原はそう言ったが、さすがの彼も、我聞が帰宅直後に、「アルバイトでもして家計を助けてよ!」と言われるとは想像もできなかったのである。


「本日付で工具楽屋の一員となりました、工具楽我聞です!よろしくお願いします!!」

ぱちぱちぱち・・・。
まばらな拍手が、小さな事務所に響き渡った。
工具楽家の隣にあるプレハブの簡易的建物・・・それが「工具楽屋」の社屋である。
その2階にある事務所に集った工具楽屋の現社員は我聞を含めて5人いる。
我聞を引き入れた辻原は営業周りのためいないが、最年長の専務・中之井千住さんは昔からの知り合いで、色々よくしてもらっている。
眼鏡に長髪で、いつも笑顔を絶やさない森永優さんは技術部長らしい。

「お父上が戻られるまでの短い間ですが、よろしく頼みますぞ。くれぐれも、江戸から続いた由緒正しい解体業者・工具楽屋の社長として恥じることのない・・・」
「まぁまぁ、初日からそんな説教しちゃったら萎縮しちゃうよー?」

そんな二人のやりとりに挟まれ右往左往する我聞だったが、そんな中、一対の視線が自分に向けられていることに気付く。
その方向に顔を向けると、スーツ姿の少女がファイルを片手に待機していた。國生陽菜・・・社長秘書である。
陽菜も我聞が気付くことを待っていたようで、顔を向けたとたんにすたすたと歩き出し、我聞の横を通り過ぎる。

「あ、あの・・・?」
「では社長、こちらに」

と言いながら席を勧める少女。しかしその動きに、中之井も優も驚いてしまう。

「は、陽菜君!」
「その席は・・・」

そう。
陽菜が引いた椅子は、社長の椅子ではなく、臨時社員用の椅子。いわゆる、新人席の椅子だったのだ。

「ああ、気にしないで中之井さん!社長と言っても新入社員!しかも今日が初日なんだから、試用期間みたいなものでしょう!」
「いや、しかし・・・」

どん、と胸を叩き、思ったままのことを口にする我聞に、中之井もなんとか反論しようとするが、それよりも早く、冷たい言葉の矢が突き刺さった。

「社長に認めてもらった以上、拒否する権限は社員にはありません」

陽菜だった。その、竹を割ったかのような直接的な物言いに反論の機会を失う中之井。
結局、我聞は陽菜の勧めた椅子に着いた。

「・・・では、この書類に目を通しておいてください」
「ああ、任せてくれ國生さん!」

矢継ぎ早に書類を机の上に乗せていく陽菜と、その指示に従って書類を開くものの、5分とたたないうちに目を回しはじめる我聞に、中之井は小さくため息をつくのだった。


「よっ・・・と!!」

瓦礫を詰めた袋を二つ、一気に担ぎ上げる我聞の姿に、周囲の作業者達が驚きの声を上げる。
解体業というと爆弾を使った派手なビル破壊などが思い浮かべられるだろうが、実際には、重機を使って地味に壊していくことがほとんどだし、壊したあとの後始末ももちろんしなければならない。
丈夫な袋に収められた元建物の残骸は、一つとっても10kgは下らないようなものだ。それを二つも軽々と抱えて運ぶ様は、高校生のなせる技としては驚異的なのだろう。

「・・・」

そんな我聞を、一人冷ややかな視線で見つめているのが、同い年であり、本来ならもっと共感などしてもいいはずの陽菜だ。
彼女はまるで、我聞を値踏みするかのような目で、彼の一挙手一投足を監視し、そして時折、気付いたように何かをメモしていた。

「心配性じゃな、陽菜君も」

そんな彼女を見かねたのか、中之井が声をかけた。だが、陽菜は振り向きさえもせず、我聞から目を離さぬままに、彼の言葉に応える。

「しかし、これだけの行為をする価値はあると、私は思っています。中之井さんや森永さんまで現場に出て来ているのがその証拠なのではないですか?」

うっ・・・!
まるでその声が聞こえてくるようなリアクションをする中之井、そして優。

「やー、私は単に、我聞くんの頑張りっぷりを高みの見物しにきただけで・・・」
「!それは言っちゃいかんとあれほど・・・」

と、陽菜のやや後方でひそひそ話をはじめる二人だったが、幸か不幸か陽菜は意にも介さず、淡々と我聞の動きを肉眼で記録していくだけだ。
その瞳に、我聞も気付いていないわけではなく、逆に、その視線こそが彼を奮い立たせる原因となっていた。

(國生さんが期待の視線で見ている!ここは、しっかりと頼れる社長であると言うところを見せつけておかねば!!)

・・・当然のように勘違いしているところが玉に瑕だが。


そんな単純な作業が小一時間も続き、一段落がつきそうになった時だった・・・絹を裂くような悲鳴があたりに響き渡ったのは。

「ひ、ひったくりよーっ!!」

声の声量としてはそれほど大きなものではなかった。その証拠に、他の作業者達も、我聞の働きぶりに注視していた陽菜も、そんな陽菜の様子をはらはらしながらうかがっていた中之井と優にさえも、聞こえることはなかったのだ。
だが、我聞だけはその声を聞きつけ、そして矢継ぎ早にその場を飛び出した。その突発的な行動に、現場にいた誰もが驚愕する・・・当然だ。他にはその声を聞かなかったのだから。
まるでパチンコ玉のように勢いよく飛び出した我聞は、勢いのままに声のする方に駆けていった。程なく、ハンドバッグを片手にすごい勢いで歩道を駆け抜けるスクーターの姿を発見する。

「あれか・・・!」

その行く手に立ちふさがり、一言だけつぶやいた我聞は、ゆっくりと、一呼吸する。
足元の状態を確認し、ギュッと踏みしめる。わずかながら、大地の感触が安全靴を通して体内に伝わる。
それは固いアスファルトではあったが、力を込めて踏み込む事が出来れば、今の彼には十分だった。

「しゃ・・・社長っ!!」
「おおっと〜、これは良いタイミングで彼の実力が見られるかも知れないね〜?」
「馬鹿言っちゃいかん!彼の力は・・・!」

しかし当然、彼の行動に慌てるのが工具楽屋の面々だ。
驚きの表情を見せる陽菜、まるで見せ物でも始まるかのような口調の優、そして、それにツッコミを入れる中之井。
三者三様の言動を見せる一同だったが、共通していたことがただ一点・・・我聞の行動を止めることは出来なかったのである。

「工具楽屋二十五代目社長、工具楽我聞・・・」

再び、大きく息を吸い込む我聞。既にスクーターは彼の眼前に迫ってきていた。
彼が立ちふさがってから約5秒。避けると言う選択肢もスクーターの運転手にはあっただろう。だが。

「オラオラ!邪魔だ、どけーっ!!」

ひったくりを成功させた軽犯罪者の前に、人並みの理屈が通じる道理はなかったようである。
その走行ルートは完全に我聞をひき殺そうとするものだった。だが次の瞬間、その視界がひっくり返る。

「突・貫っ!!」

左腕をひと振り。
我聞が行った動作はそれだけだ。しかし、その拳はスクーターのカウルを横から叩き、その上に乗っていた男達ごと、綺麗に半回転して近くの壁に激突した。

「っ・・・てぇーっ!!」

背中をしたたかに打ち付け、思わず叫び声を上げる男達。スクーターの下敷きにならなかったのは不幸中の幸いとも言えたが、それ故に、全身を振るわせながら立ち上がり、懐からナイフを取り出すほどに回復するには、さほど時間はかからなかった。

「何してくれるんだよ・・・この野郎ーっ!!」
「何を・・・?」

ぷつっ。
我聞の頭の中で、何かが切れた。
左足を前に出し、右足を横にずらした形で少し、腰を落とす。
引いた右足と同時に後ろに引いた右手は、一瞬だけ手のひらを上にして開かれるが、前に突き出すと同時に強く握られる。
そして、一心不乱に突撃してくる男のナイフを軽く左手でいなしながら、その肩に、握った右の拳を叩きつける。

「・・・悪い事をしておいて、『何を』も『この野郎』もないだろ!!」

引いた拳を、何かを払うかのように振り、くるりと背を向けて言い放つ我聞。
刹那。

「うぎゃあぁーっ!!か、肩が、肩がーっ!!」

男が悲鳴をあげ、撃ち付けられた肩を押さえる。その表情は、まさに苦悶と呼ぶにふさわしい。
その様子に、陽菜も思わず息をのみ、呟きが口から漏れる。

「全く血が出ていないのに、あの痛がりようは・・・」
「工具楽仙術、解・穿功撃・・・関節部に無理矢理スキマを開けて骨を外す、工具楽仙術の基本技ですね」
「ほうほう・・・って辻原さん!」
「なんと!いったいいつの間に現れたんじゃ!」

その陽菜の後ろに、眼鏡を直しながら現れた辻原は、驚く優や中之井を一瞥しながら軽く笑う。そして、ゆっくりと我聞に近づくとぽん、とその肩を叩いた。

「ご苦労様でした。でも・・・もう出番はおしまいですよ」

と、同時に駆けつけてきた警官が、ひったくりを緊急確保する。その騒々しさの前に自分がやったことを思い出したのか、我聞は急に、こそこそとした態度になり、まるでネズミのように解体現場へと戻っていった。

「しかし、あの様子なら、「本業」を任せても問題なさそうですな!」

我聞の見事な戦いっぷりに感動したのか、中之井の涙腺がほんの少しゆるむ。
だが、そこから流れようとしたものは、次の陽菜の言葉の前にあっさりと引っ込んだ。

「・・・あれを見ても、ですか・・・?」

すっと、陽菜が指さした先。そこにあったのは、完全にスクラップとなったスクーターと、その直撃を受けて瓦解した煉瓦性の壁だ。
次の瞬間、怒りをあらわにした中之井に怒鳴られる我聞と、それを楽しそうに見物する優と辻原を横目で見やりながら、陽菜は小さくため息をついた。

我聞が、頼れる社長となるには、まだまだ時間が必要だった・・・これは、そんな頃のお話である。


<了>